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| 日本の歴史人物ランキング 福沢諭吉 |
一万円札の肖像でおなじみの福沢諭吉は、日本の武士(中津藩士)、著述家、新聞時事新報の創刊・発行者、教育者、東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長、慶應義塾創設者でで、明治の六大教育家の一人といわれています。
現代では、「福沢諭吉」と記載される事が多いでが、一時期は「中村諭吉」と名乗っていた時があると言われています。
慶應義塾大学をはじめとする学校法人慶應義塾の運営する学校では、福沢諭吉のことを敬意をこめて福沢先生と呼び、他の教授・教員陣は君付けで呼ばれていたそうです。
福沢諭吉の父は、大坂の商人を相手に藩の借財を扱う職にありましたが、儒教に通じた学者でもありました。
しかしながら、身分が低いため身分格差の激しい中津藩では名をなすこともできずに、この世を去りました。
そのような理由から福沢諭吉は、封建制度には疑問を感じていたと言われています。
初めは、読書嫌いでしたが、14〜15歳になってから近所で自分だけ勉強をしないというのは、世間体が悪いということで勉学を始めることになります。
その後、すぐに実力をつけて以後様々な漢書を読みあさり、オランダ語も学びました。 福沢諭吉の代表的な言葉で戒名にも用いられた言葉が「独立自尊」です。
その意味は「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ」(「修身要領」第二条)。
ベストセラーになった「西洋事情」や「文明論之概略」などの著作を発表し、明治維新後の日本が中華思想、儒教精神から脱却して西洋文明をより積極的に受け入れる流れを作りました。
福沢諭吉は、会計学の基礎となる複式簿記を日本に紹介した人物でもあります。 簿記用語の「借方や貸方」という語は福澤諭吉の訳によるものと言われています。
1984年〜2004年の日本銀行券D号1万円札、2004年〜のE号1万円札の肖像にも使用されているのはご存知だと思います。
そのせいか、「ユキチ」が一万円札の代名詞として使われることもあります。 このことから派生して、一万円札の枚数を言う時に1人、2人などのように人数を数えるように言うことがあり、一万円札の代名詞でもあります。
福沢諭吉は、明治維新になって欧米諸国の女性解放思想をいちはやく日本に紹介し、一夫多妻を非難し、女性にも自由を与えなければならないとし、女も男も同じ人間だから、同様の教育を受ける権利があると主張しました。
しかし、彼の女性解放の主張は、女には女としての「分限」のあることを示し、女性は家事・育児を天職とする「家政参与の権」の確立にとどまっていました。
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