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日本の歴史人物ランキング 徳川家康
徳川家康(とくがわ いえやす)は、日本の戦国大名・江戸幕府の初代征夷大将軍です。
小牧・長久手の戦いで10万の秀吉軍相手に互角以上の戦いをしたことから、当代一の軍略家の一人であり、関ヶ原の戦いでの相手への裏工作から、謀略なら秀吉や信長より上なのではないかと言われていました。
ただし彼の本質を発揮しだしたのは秀吉の死後だと言われています。今川義元、織田信長、豊臣秀吉に対して、馬鹿正直なほどの律義者を貫いたとも言われています。
家康が礎を築いた徳川将軍家を頂点とする江戸幕府の支配体系は極めて完成度の高いもので、江戸幕府は京都、大坂、堺、博多など全国の幕府直轄主要都市(天領)を含んだ全国総石高の約4分の1に相当する約700万石(= 1,262,730 m3 = 1石 = 180.39 リットル)を独占管理し、さらには佐渡金山など重要鉱山と貨幣を作る権利も独占して貨幣経済の根幹もおさえるなど、他大名家の追随を許さない圧倒的な権力基盤を持ち、これを背景に全国諸大名、寺社、朝廷、そして天皇家までをもいくつもの法度で取り締まり支配したといわれています。
これに逆らうもの、もしくは幕府に対して危険であると判断されたものには容赦をせず、そのため江戸幕府の初期はいくつもの大名家が取り潰し(改易)の憂き目にあっています。
このように徳川将軍家のみを絶対とする江戸幕府の絶対的な支配体系については「保守的・封建的」と厳しい批判が多いですが、これほどまでの強固な支配体系が確立されたからこそ、戦国の時代を完全に終結させ、江戸幕府が250年以上に及ぶ日本史上類を見ない長期安定政権となったことは否定できない事実です。
徳川家康は当時としては長寿の75歳まで生きたのですが、何故かといえば、それは健康にとても気を使っていたからです。もともと凝り性だった家康は食事のつりあいや消化のよさなどを考えて台所に献立を通達していたと言われています。
食事も質素で、戦国武将として戦場にいた頃の食生活を崩さなかったと言われています。死因となったともいわれた鯛の天ぷらは、生涯を通じて最初で最後の贅沢だったそうです。 |
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